震災ボランティア
先週の三連休を使って、震災ボランティアに行ってきました。
本来であれば、この日の一日は勤務日にする予定だったのですが、
なんとか勤務しなくて済むようになり、
以前から行きたいと考えていながら一度も行くことができていなかった
被災地にようやく行くことにしました。
仕事が相変わらず多忙なのと、昨年秋に痛めた腰が完全に治りきっていないことで躊躇したのですが、
震災直後にはなかなか空きがなかった大阪発のボランティアバスに、空きを発見したことで
行くのなら「今でしょ!」というのりで参加することに・・・。
バスの中はほとんど学生さんで、41歳の私は完全に長老組でした(笑)
今回訪問したのは、福島県南相馬市小高区です。
福島第一原発から約15kmくらいのところにあります。
ここは震災から1年ほどは警戒地域に指定され、立ち入り禁止となっていたのですが、
現在では帰宅準備地域に指定され、昼間の立ち入りは許可されています。
地区の方から聞くと2年後に帰宅できるように準備しているとのことです。
最初に訪問したのは、ボランティアセンターです。
周りにはボランティアの方々でいっぱいでした。
朝の8:30からマッチングが行われます。ここで、当日集まったボランティアに
作業の割り振りを行います。
我々のグループは、2日間にわたってビニルハウスの解体作業を手伝うこととなりました。
ここの土地のオーナーは81歳の方で、
現在は、ここから35kmほど北の仮設住宅に避難されているとのことです。
大変な状況になりながら涙ながらに我々に対し感謝の言葉をかけて頂いているのを目の辺にして、
胸が熱くなりました。
このオーナー、原発事故で避難されるまでは老後の生きがいとして夫婦ふたりで
いちごやとうもろこし等の栽培をされていたとのことです。
道路脇でこれらを販売されていたみたいで、「とっても甘いとうもろこしだったんだよ」だとか、
「この時期だと、いちごを売っていた頃かな」、等と話をされているのを聞いて、
やるせない気持ちになりましたと同時に、なんとかお役に立つことができたらなと思いました。
作業は、ボランティアバスに同乗していた40名ほどで行いました。
素人集団なのですが、数の力は大きいもので、あっという間に作業が進み、
2日間でビニルハウス5棟を片付けることができました。
途中、現地のボランティアセンターのご好意で、
福島第一原発から5km地点にある検問所まで案内してもらうことができました。
これが、その検問所です。バスの車内から撮影しております。ここから先は、帰還困難区域ということで、
特別に許可をもらった人しか立ち入りができないようになっております。
途中、海岸近くの道路を通ったのですが、津波のあとがかなり残っておりました。
しかしながら、がれきに関しては、かなり片付けられており、かなりの土地が更地になっておりました。
この片付けに関しても、ボランティアの力が大きかったとのことです。
ただ、今回写真撮影はできなかったのですが、
壁が崩れた家や横転したトラック等が放置されているところが結構ありました。
今回の活動を通じ、
震災の影響はまだまだ残っており、再建するまでは、まだまだ様々な力が必要であるということと、
一人一人の力は小さくても、その力がたくさん集まれば大きな力になるというということを
しみじみと感じました。
仕事やその他の活動の都合があるので、出来ることは限られるとは思いますが、
今後も出来る範囲で活動していこうと思います。
弊社の経営理念となっている、すべての人にとって幸せになることができる世の中に
自分なりに少しでも貢献できたらいいなと思いました。
最後に、今回お手伝いをさせていただきました
土地のオーナー様の家の前に掲げていた看板をアップします。
この看板を見たとき、様々な思いがこみ上げてきて、胸が熱くなりました。
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